もう当たり前にグローバル化という言葉が使われています、良い悪いでなくグローバル化をしなければいけないという流れです。これは当然で、情報、お金だけでなく物流においても世界は近くなったわけで、一国だけで完結する事はあまり無いと思うべきでしょう。そんな中、東大が学期を秋から開始するという事を本気で検討しているようです。これもしかり、どの大学に行くか、という判断もグローバルに考える時代なわけで、そのためには全世界で学期の開始が統一されていく流れは明白でしょう。
白石の時代の大学進学は、理系か文系か、地元か都会か。まずほとんどこれくらいしか選択肢は無かったと思います。あとは自分の学力に合わせて行ける大学を探す。もちろん経済的な事も考慮してです。それ以外には医学部であればどこでも良いというような流れもありましたが、海外の大学に行くという事は真面目に検討することはありませんでした。ただ、もし今の時代に高校生であったならば。十分に選択肢として考えていただろうなと思います。当時は日本の大学はキャンパスとか講堂とかを見ていましたし、大学生の知り合いもいましたが、海外の大学がどんなものかは知りませんでしたし、見たこもありませんでした。ましてや行くなど想像を越えていました。
ただ今や、ネットでどの大学がどういうものなのか知ることもできます、写真も動画もあります、その大学に通う人たちとSNSで交流することも可能でしょうし、沢山の情報も入ります。さらに、地方の学生が下宿して都会の大学に通うのとそう大きく変わらない経済条件で行ける学校を見つけることだってできるのです。
まさにグローバル化。世界は白石の学生時代の日本くらいの狭さになっていると思います。様々な分野でグローバル化は進みます。もっともっと積極的にグローバルであることの意味を根本から考えてみたいと思います。


